とあるツイートを見て思ってることを発信してみたくブログを更新しました。
自分は14年間、小学校の教師をしていました。ほとんどが高学年なので卒業した後にも連絡をくれたり、同窓会を開いたりもしました。(6年生は7回担任(;^_^A)
教師生活の中で若年(10年目未満)くらいまでは、「自分のクラスはどのクラスよりも団結力があって、授業中もよく発表する。そんなクラスにしたい」と思っていました。(たぶん、教員になった方は誰でも思いますよね?)
そのためにやれることは何でも挑戦しました。長縄で全校一位をめざしたり、教育論文に応募してみたり、セミナーに参加したり。。。
卒業した後に、よく連絡をくれる教え子がいました。私のことを慕ってくれていたんでしょう。どの部活に入ったとか、好きな子は誰、とかいろいろ教えてくれました。少し頻繁にくるな、と思うくらい。
そしてある時、いじめられている、という連絡がきました。
当時、何もできなかった自分がくやしいですし、とても穏やかで優しい子だったので、苦しい中学生活だったのかと思うと、今でも胸が痛いです。
「教育の成果は亡くなる時にあの先生と過ごした一年はよかったなと思えてもらえたら~」というツイートを見たので、自分はこう返信しました。
「忘れてくれた方がいい。今が幸せなら過去のことって思い出さないんじゃないか」と。
たぶん、さっきの経験が自分の中に根付いてるのかもしれません。
寂しいじゃないか、と思われる方もいるかもしれませんが、小学校の教師なんてそんなもんだと思っています。
だいたい教育の成果、っていうなら一年生や二年生を担任した先生方ってめちゃくちゃすごいと思います。なかなか指示が伝わらなかったり、学校のきまりを一つ一つ教えていかなければいけない上に、読み、書き、計算など本当に基礎中の基礎を教えるんですから。でも当時の先生がどんな先生だったかって思い出せますかね。。。
でも本を読めて、それに感動し、計算ができて漢字が読めてって、自然と自分の中に根付いています。
本当にいい授業をし続けて、素敵な思い出をその子に残せているのなら、実生活に生きる力となって残っているのではないか、と私は思います。そして、幸せなら思い出すこともないんじゃないかって思います。
一人の人間としては寂しいですが、でもそれでいいと思っています。だってエゴじゃないですか?自分がいいって言ってもらいたいって。その子の人生が豊かになるのが一番いいじゃないですか。
そんなことをふと思いました。